ジョブサポートは、1999年に開所しました。
開所早々に利用を始められ、就職第1号で飛び立った大川政幸さんが先日、ご両親とともに社領の事業所に、松本を訪ねてきてくださいました。
ずいぶんと久しぶりで、「こんにちは」と入ってこられた時、一瞬お父様かと思いました。考えてみれば、当時のお父様と同じぐらいの年齢になっておられるのでした。
25年は長い!
家族ぐるみで奮闘してきた25年間の働く生活を、お三方から交々聞かせていただきました。
福岡障がい者就労支援センターなどの支援を受けて、転職もされていますし、配置換えで辛い思いをされたというお話もあり、25年間を語るのに2時間では全然足りません。
そんな山あり谷ありの25年間、頑張って働き続けてこられたことに、頭が下がります。
研究会を始めた時から発行を続けている会報を探してみたら、30号にこんな記事を見つけました。
おめでとう!
大川政幸さんから採用が決まったとのおしらせが飛び込んできました。
2月から「ジョブサポート」を利用されていたのですが、7月から障害者緊急雇用安定プロジェクト “トライアル雇用” にチャレンジされていました。
4ヶ月間のチャレンジを終え、めでたく本採用に決まったとのことです。
福岡障害者職業センターの支援やご家族のしっかりしたバックアップがあって大川さんもがんばりました。「ジョブサポート」からの飛躍第1号です。
「ジョブサポート」はちょっと寂しくなりますが、うれしい寂しさです。
心からお祝い申し上げます。
大川さんが就職された後も、ご両親は、ジョブサポートの運営資金稼ぎのために開催していた「バラエティバザー」の実行委員長も引き受けてくださるなど、ジョブサポートの運営についてさまざまな形で応援してくださいました。
利用者さんのご家族というよりも、一緒にジョブサポートの土台を作ってくださった同士です。
この度、ご両親と3人で訪ねてきてくださった理由の一つは
「これからも働いていくけれど、いつか企業で働くことが無理になるかもしれない。その時には、又ジョブサポートに戻って来たいので、よろしくお願いしますね」という、ご両親の周到な心配りです。
「いつでもおいでください」「スタッフ全員に『5年後10年後に来られるかもしれないから、その時はよろしく・・』と伝えておきますから、私が居なくなっていても大丈夫です」とお応えしました。