車通勤なので、毎朝ラジオを聞きながら運転しています。
天気予報から交通情報、国内外のニュースなど、様々な情報が流れてきます。
番組の進行を担うアナウンサーをはじめ、いろんな方が登場しますが、毎日のように聞いているので、だんだんと慣れ親しんだおなじみの声になり、いつの間にか、その方の人となりや年齢などを勝手にイメージして聞いている自分に気づきます。
語られる話の内容や声を聞きながら、バランスの良い人だなあとか、とんがった意見を臆せず言える人だなあとか、周りの人を立てるのがうまい人だなあとか、・・・・など、楽しく聞いています。
日々変わるテーマや問いかけに応じて、リスナーからのメールなども紹介されるので、地域の中には、本当にいろんな方が、思いもつかないことを考え、動いている方もたくさんおられて、うれしくなりますが、そうした不特定多数の人たちを対象として、ニュースを紹介したり、リスナーとマイクを挟んでインタビューしたりと、大変な仕事だなあと感心しています。
新聞や本などの、時間をかけてしっかり練られた文章や選び取られた言葉と違って、肉声だし、その時その時の話題に沿って語られるので、そこにはおのずと語り手の無意識の心情や考え方が現れますし、それぞれの日常も伺えます。
ところで、先日、いつも通り、ある番組を聞いていて、女性のアナウンサーの「主人が・・・」と言っているのが聞こえて、「ん?」「エッ?」と、引っかかってしまいました。
何回も言われていましたし、夫を「主人」と呼ぶことに、なんら違和感を持っていない口ぶりでしたし、その場にいた人たちから格別な反応もなく、そのまま会話は続いていました。
近年、「ジェンダー平等」や「SDGs」などが、大きく取り上げられ、人々の関心も高まっていますし、マスコミも大きな役割を果たしてきたと思いますが、その担い手であるラジオのプレイヤーが、オフィシャルな場で「主人」と言い、周りからの反応もない・・・。ショックでした。
もちろん、個人的な場面での呼び方は自由です。
でも、多くの人が聞いているラジオでの発言の、その無頓着さに、まだまだ日本のジェンダー平等はこのレベルなのだ、やっぱり世界で120位なのだと、ガッカリしました。
思い起こせば、私が結婚した頃は、「主人」と言うのがふつうで、私も、しばらくは、周りに合わせて「主人」と言ってみた時期がありました。
でも、「主人」と言う言葉に、どうにも違和感が拭えません。かと言って、「オット」という言い方は「オットトト・・・」を連想してしまい、ふざけているみたいで、どうにも合わなくて、試行錯誤を経て、今は「つれあい」と言っています。
結婚後しばらく、周りに合わせて「主人」と言っていた、主体性のない若い自分を、苦く思い出します。
日本社会は、変わらないと言っても、少しずつ変化して10年過ぎてみると結構変わっているという風に思っていましたが、あれから半世紀が過ぎています。