「香典袋がない」

 コロナ感染を防ぐ手立てとして、「人との距離を取る」「人との接触を避ける」「不要不急の外出は避ける」等があげられ、私たちはこの1年、他者と会わず、触らず、生き延びるため以外のことを避けて、生活してきました。

 ところで、先日息子から、義父が亡くなったと連絡がありました。
 遠いし、コロナ禍もあり、葬儀参列は失礼して、香典を息子に託すことにしました。
 
 さて香典袋があったかしら?と、便せんや封筒、切手を入れている引き出しを開けて見たのですが、見つかりません。
 そう言えば、この引き出しも、ずいぶん長いこと開けていなかったし、手紙なんぞ久しく書いてないなあ、ストックの郵便ハガキも、そのままでは使えないだろうなあ、封書の切手は今いくらだったかしら、・・・等々、置き去りにしていた昔が、いきなり現れました。
 
 かつて香典袋や祝儀袋は、常にストックがあって当たり前のものでしたし、香典返しに、香典袋と祝儀袋のセットがあって、よく考えたなあ、うっかり買い忘れた時に助かる―!と喜んだ時代もありました。
 コンビニがあって助かった!という品の1つが、香典袋だったなんて感覚が、わかる人も、今や少ないのでしょうね。

 香典袋って人間関係の繋ぎ目の1つですから、人間関係が希薄になってきた証拠がこんなところにも見つかりました。
 最後に香典袋を使ったのはいつだったかしら?いつお葬式に参列したかしら?と思い起こしてみると、思い出すのにしばらくかかるぐらい稀なことになっています。
 近所の方が亡くなっても、知らないままの方が多いでしょうし、親せきともずいぶんと縁遠くなっています。

 私の母が亡くなったのが15年ほど前ですが、その時は、母方だけでなく父方の親戚、近所のお友達など結構たくさん参列してくださいました。あの頃は、亡くなったことをお知らせするのが当たり前でしたし、通夜か葬儀どちらかに参列するのはごく当たり前のお付き合いでした。
 当たり前というよりも、報告しないと失礼だというふうでしたから、親戚はもちろんのこと、昔のお友達など交流のあった方々に漏れなくお知らせするのが、残された者にとって結構大変な仕事でした。母の電話帳(手書きでした!)とか何年分もの年賀状とかを探して泣きながら電話したなあと、あの時のバタバタを思い出しました。
 15年でこんなにも変わってしまったのですね。
 香典袋探しをキッカケに、改めて振り返ってみると、人と人との関係や、社会の常識がずいぶんと変わってきていて驚きました。

 昨年来の新型コロナ感染の終息は数年かかるだろうと専門家が予測していて、この数年の間に、人と人との関係や社会のありようは大きく変化するだろうと言われています。
 じわじわとした変化でも、15年の歳月はこんなに大きな変化をもたらしましたから、5年後にどんな社会になっているのか、想像もつきません。