通勤途中、反対車線を、後ろの車から追い立てられるように、左へ右へ行ったり来たりしながら走っている小さい犬を見かけました。狭い道でしたので、犬の後ろには、車が何台も連なってノロノロと進んでいました。

 ミニプードルのような小さくて細い茶色の犬で、見るからにオロオロと、何かを探しているふうに、車に追われて走ってきます。

 すれ違いざまに、よく見ると首輪をはめています。

「あ、飼い犬なんだ」「迷子になって、お家を探してるんだね、かわいそうに」「飼い主も探しているだろうなあ」・・・・

 我が家にも、迷い込んできた子猫が、突然いなくなってしまって「ロス」に陥ったことがありましたから、身につまされました。

 今も、あの迷い犬はどうなったのだろうと、時々思い出します。

 

 ところで、「あ、飼い犬なんだ」と思ったとたん、そういえば最近は、野良犬を見なくなったなあと気づきました。

 全然見ません。誰に聞いても「見ない」と。

 きっと野良猫は、そこらへんで生息しているだろうと思いますが、犬の野良は駆逐されてしまったのでしょう。地域猫とは聞きますが、地域犬とは聞きません。

 野良犬=狂犬病という図式で、かつて本当に恐ろしい存在でしたから、駆除もきっちりとなされたのでしょう。

 かくて狂犬病に感染するリスクは、ほとんどゼロになったということで、それは安心安全な社会になったということですから喜ばしいことですが、一方、野良犬が生息できない、スキマのない窮屈な社会になったということにもなります。

 

 むか~し、ムカ~シ、遥かむか~しのことです。

 私が小学校4年生の時、迷い込んできた野良犬を、クラスのみんなで飼っていたことがあります。

 給食の食べ残しを食べさせ、教室の2階にあった物置部屋に寝床を作って1年間飼っていました。

 今だったら、とても考えられないことですが、担任の先生からも、校長先生からも、親からも、誰からも、「危ない」とか「ダメだ」とか言われませんでした。

 迷い込んできた犬が、お腹を空かしている、給食の残りがある、だから食べさせたという、子どもたちのシンプルな行動ですが、「お腹すいてるだろうね」「給食の残りがあるよ」「2階の部屋が空いてるよね」と、自分たちで考えて行動したのです。一緒に遊んで楽しかったなあと、今でもふっと思い出します。

 

 野良犬のいない社会、野良犬を許さない社会は、私たち人間にとって、生きやすい社会なのだろうか?迷い犬を見かけたことから、こんなことを考えてしまいました。