「学校に行きたがらない子どもたち」「忙しさに疲弊している先生方」「発展途上の子どもを抱えて24時間フルタイムの暮らしで、余裕のない毎日を送っている多くの親」・・・・・

それぞれに一生懸命なのに、つらい思いをしているのです。

 

 長く生きてきた私にできることはないだろうか?

 ホンの小さなことしかできないのはわかっているけれど、小さくてもまずは始めないと始まらない、何ができるのだろう?自分一人ではなく誰かと一緒にできれば・・・?等々考えておりましたが、答えは見つかりません。

 今のままお互いに閉じた学校や社会のままでは、子どもたちはどう育っていくのだろうか?学校の外からでも、できることはないだろうか?・・・と考えていて、ふと、数日前のプールでの出来事を思い出しました。

 

 腰を痛めて治療中に、水中ウォーキングを勧められて、時々市民プールに通っているのですが、先日プールでこんなことがありました。

中学1年生?と思しき男子5,6人が、水の中で遊んでいました。ワアワア言いながらじゃれ合っている伸び盛り元気盛りの男の子たちを見ていると、こちらまで笑顔になります。

楽しそうだなあと横目で見ながら歩いていましたが、ふと目を凝らしてみると、1人男の子を3,4名で羽交い絞めにして、水の中に沈めたりしていて、周りの子たちは笑いながらはやし立てています。

しばらく見ていて、ん?これっていじめじゃない?ふざけていて、いつの間にかシリアスな状況になっているんじゃない?と感じられてきました。

みんな大声で笑っているけれど、羽交い絞めされている当の本人は笑っていないし、これはおかしいのではないかと思いました。

横を歩きながら、顔を向けて「見ているよ!」とアピールしましたが、夢中で騒いでいる彼らの目に入りません。結局声もかけず、何もアクションしないまま帰りました。

確信があったわけではなかったから、思い違いだったかもしれないし、と自分に言い訳しながらも、もやもやしたままでした。

 

その数日後に、コラム145号で書いた「学校に行きたがらない」を聞いたのでした。

 

あの友達から羽交い絞めにされていた男の子は、友達にあんな意地の悪いことをされて深く傷ついているのではないだろうか。

思い違いかもしれないと、私は逃げてしまった・・・・。

気づいていながら、見て見ぬ振りをして逃げている大人を見たら、子どもたちは『誰も助けてくれない』とあきらめてしまうだろう。

やっちゃいけないことをやっていたら、気づいた大人が『ダメだよ』と止めてくれたり、いやなことから守ってくれる社会でなければ、子どもは安心できず、「・・・に行きたくない」「・・・をしたくない」と、閉じこもってしまうのだろう。

 

 「・・・をしたくない」という子どもを、一人でも減らしたい、「おせっかいおばさん(おばあさん?)になろう、これぐらいなら自分にもできるだろうと、決めました。

手始めに、プールで、ちょっとしたルール違反をしている子どもたちに、「ここは歩くところだよ」「泳ぐコースじゃないよ」と声を掛けてみました。

子どもたちは素直に応じてくれました。

子どもたちの未来のために、ガンバロウ!