元福岡市長だった山崎広太郎氏が亡くなられたとの記事を見て、ずいぶん昔の福岡ジョブサポートにとって大きな出来事だった事柄を思い出しました。
福岡市東区馬出に、福祉作業所ジョブサポートを開所した翌々年だったと思いますが、福岡市に「障害者の就労支援のあり方検討委員会」が設置され検討が始まりました。
たまたま私たちの活動が、それまでの居場所づくりを主たる目的で運営されている福祉作業所と違って、障がいがあっても「社会の中で働きたい!」人への支援を掲げていたので、「事例をあげて障がいのある人が企業で働くために必要な支援について報告」して欲しいとお声がかかりました。
検討委員会では、ジョブサポートでのいくつかの事例をあげて、職業能力開発のためのトレーニングの場や、職場でのふるまい方のトレーニングなど、具体的な支援や、複合的な支援の仕組みの必要性とその成果を報告しました。
記憶が定かではないのですが、たぶん頸椎損傷の方が「体調管理が難しいので、在宅での仕事をしたい」とPCスキルのブラッシュアップを目的に通い始められ、1年後に就職された事例や、コンスタントに働きに行くことで、生活も体調も、生きる意欲も、プライドも取り戻して行かれるのを目の当たりにした事例などをあげて、働くためのトレーニングの場と時間、適切な支援があれば、社会の中で働き続けることができることと、障害のある方の多くは「働きたい」「社会の中で役に立ちたい」と思っておられることを報告しました。
その後、福岡市障がい者就労支援センター設置など、障がい者が社会の中で働き続けるための施策が施行されましたが、その当時の市長が山崎広太郎氏でした。
果たして、山崎広太郎元市長が、障がい者の就労にどれほどの熱意を持っておられたかは、直接お話ししたこともありませんから、わかりませんが、少なくとも、福岡市障がい者就労支援センター設置など、障がい者が働くチャンスを拡げるためのいくつかの施策にゴーサインを出してくださったことは紛れもない事実で、ここから「福岡市の障がい者就労支援」は始まったと私は認識しています。
それまでの福祉施設をドンドン作って、施設の中で障がい者の安全と安心を提供する施策から、障がいがあっても、障がいのない人と同じように、地域の中で暮らし、働き続けるための施策に大きく変わったのです。
障がい者支援の施策が、施設から地域へ、ハードからソフトに変わりました。
国際障害者年の20数年後、国の障がい者施策の大きな転換だった障害者自立支援法施行の少し前のできごとでした。
山崎広太郎元福岡市長のご冥福をお祈りいたします。