昨日、仕事帰りの車中での出来事です。
朝夕混雑する道路で、ノロノロと進んでいたところ、脇道から入ろうとしている車がありました。車の列が続いていてなかなか入れないようでした。ちょうど私の車が差し掛かった時、「どうぞ」というつもりで、ちょっとスピードを落としたところ、スーッと入り込み、ライトがポカポカと瞬きました。「ありがとう」と言う意味でしょう。
無理に割り込もうとしていたわけでもありませんでしたし、こちらも少々進んだところで、たいして変わらないと思っただけで、どちらも無理をした場面ではありませんでした。
反対の立場だったら、ホッとして私もポカポカしてたかもしれないなあ、このポカポカってコミュニケーションだなあと、ぼんやり思いながら帰りました。
今朝、出勤途中での出来事です。
住宅が続く狭い道路をゆっくり走っていた時、とある家の生垣にマスクが掛けられていました。
引っかかっているのではなく、マスクとわかる形にきちんと両脇を拡げて、目立つ高さに掛けてありましたから、どなたかが拾って掛けられたのでしょう。
「マスクが落ちていましたよ」「誰か困っていませんか」という声が聞こえるようでした。
ああ、これもコミュニケーションだなあと思いながら出社しました。
私たちが生きる社会が、だんだんと「他人よりも速く」「他人よりも楽に」「他人よりもたくさん」取ろうとし、自己責任論が蔓延して息苦しくなっていたところに、新型コロナ禍で、他人に近寄らないことがマナーとなり、どんどん人々がバラバラになってきたからこそ、こんな些細なことをコミュニケーションだなと感じたのだと思います。
最近夏の定番で、宮崎駿監督のアニメ「となりのトトロ」がテレビで放映されました。楽しくてついつい見てしまいます。
主人公のさつきやメイ、お父さん、トトロや猫バスの魅力は、言わずもがなですが、今年はこれまでと違った感じ方をしました。
さつきたち親子が移り住んだ村落の人々のありようが、とても魅力的に見えたのです。
お母さんがいないさつきたち家族をおもんばかって、度々手伝いに来る大家のおばあちゃんの魅力的なこと!
入院しているお母さんを心配しながら、けなげに耐えているさつきやメイに、あれこれ手伝わせながら生活のすべを教える一方、優しくおおらかに慰め元気づけるのです。
物語の終盤、メイが1人で「お母さんのところに行こう」として迷い、行方不明になるのですが、「おばあちゃん」はもちろんのこと、村落の人々が、「メイちゃ~ん」「メイちゃ~ん」と総動員で池をさらい探しまわるのです。
「メイちゃん」という子どもを心配して一生懸命探す人々の声や行動を見て、ああ、かつての私たちの社会はこうだったなあ、「子どもが何人」ではなく、「メイちゃんがいなくなった!」と探していたのだったなあと、改めて今の「コロナ感染が何人」と言う報道に慣れた耳に新鮮にきこえました。
ここ数日、こんな経験を通して、人と人とのつながりやコミュニケーションのすべ、社会のありようや他者への思いやりなどを考えさせられたのは、そんな出来事が起こったからではなく、そんな風に捉える自分の心があったのかもしれません。