数日前の朝、ラジオのスイッチを入れると、話題は心中事件の裁判だったようで、「無理もない」とか「かわいそう」とか、被告に同情が集まり勝ちだけど、でも殺人だよね、命を奪ったんだよね、という話の流れで、「介護に疲れて・・・」という事例かしら?とぼんやり聞いておりました。
ところが、「心中事件に発達障がいの子どもの親が多いような気がして調べてみたら・・」という話に進んで行ったので、耳をそばだてました。
運転中だったので、きちんとした数字は覚えていないのですが、「結構多いんですよ」という話でした。
以前、このコラムでも書いたことがありましたが、抑うつ状態で心療内科などを受診する人の中に発達障がいの子どもを育てているお母さんが多いようだと、医者が言っていたと聞いたことがあります。
発達障がいの子どもを育てている親(ほとんどはお母さんがメイン)は、さまざまな困難にぶつかりますが、何よりつらいのは、孤立だと思うのです。
予測の難しい言動に振り回され、他者の厳しい目を気にしながら24時間緊張しっぱなしの毎日が続き、頑張っても頑張っても先の見えない中で、母親としての自信も失われて行くでしょう。
一緒に悩んでくれる人もおらず、周りの人から「なにやってるんだ!」「しつけができてない」等言われ続けるとしたら、「もう無理だ」「でも自分が死んだらこの子は・・」「一緒に死のう」と考えるまで追い詰められることもあるかもしれません。
近年は、ジョブサポートにも発達障がいの利用者さんが増えています。
生まれながらの特性も、困難さも、当然ながらお一人お一人違いますが、育ってこられた間のお母さん以外の周囲の方の理解の違いも大きいように感じます。
一緒に悩み一緒に抱きしめる存在がある環境と、無理解な周囲から冷たい目で見られ続ける毎日との違いが、10年20年積み重なっているのですから、その違いは大きいでしょうし、ご本人の自己肯定感にも、他者に対する信頼感にも、反映されるのは当然だと思うのです。
例えば、支援者のアドバイスが納得できたら、変えてみようと努力できる方と、アドバイスの内容は理解できていても、「注意された」(ダメだと言われた)と捉えたり、自信が持てなかったりで、なかなか変えることできなくて苦労する方がおられますが、その違いに、自分や他者への信頼の感覚の違いが大きいように感じます。
障がいの有無や障がいの重い軽いに関係なく、子どもが育つためには、子どもを抱きしめるたくさんの人が必要なのです。お母さんを孤立させてはなりません。